業界のMONSTERに訊くvol.2 「売れる」特産品を生みだす フードコンサルタント・料理人 宮崎 政喜さん
お話を伺うのは、フードコンサルタント兼料理人の宮崎政喜さん。宮崎さんは、飲食店の店舗開発や商品開発のほか、年間の半分は6次産業化プランナーとして全国各地を飛び回る多忙な日々を送っています。
地域の農産物を活用し、「売れる」特産品を生みだす仕事に携わることになったその経緯や仕事をする上で大切にしていることについてお聞きしました。
数字も見れて企画もできる料理人
―宮崎さんのお仕事内容について教えて下さい。
大きく分けると3つの事業を行っています。
ひとつは飲食店の店舗開発事業です。年間20本ほど開業支援を行っています。「なにかお店をやりたい」というゼロベースの依頼もありますし、「カフェをやりたいけどやり方が分からないからプロデュースしてほしい」という場合もあります。メニューもレシピも一から作り、物件探し、販促も行います。
例えば、八王子の古民家を改装した欧風カレー屋「カキノキテラス」のプロデュース。依頼を受けたとき、古民家を使うことは決まっていましたが、何を提供するお店にするかはまだ定まっていない状態でした。
八王子をマーケティングリサーチした結果、人気のスープカレー屋が複数ある事が分かりました。みんなカレーは好きだけど、なかにはサラサラしたカレーが好きじゃない人も必ずいる。欧風カレーの潜在的ニーズがあると思った。マーケットを捉え、プロダクトをエリアに落とし込む「プロダクトイン(造語)」として、古民家の欧風カレー屋を開業。現在も毎朝11:30の開店前から行列が出来る繁盛店です。
古民家欧風カレー カキノキテラス
こういったノウハウを活かして、食の専門学校「レコールバンタン」では、経営マネジメントを教えています。 飲食店が今日100店舗オープンしたとして、10年後の今日残っている店舗は5店舗ほどです。甘い世界ではありません。だからこそ、テーブル上の計算だけでなく、実際に現場の調理やサービスの工夫次第で、月末どのくらいの収益が出るのかなどを具体的に教えています。
2つ目は卸売業、自分のプライベートブランドのサルシッチャやカレーソースなどを飲食店に卸しています。飲食業界は慢性的な人材不足なので、短時間でおいしい料理を提供できるように、という想いから行っています。
3つ目は6次産業化プランナーとしての仕事です。
地域振興を目的とする各機関、行政からの依頼で、年間の半分は地方に行っています。
地域資源を生かした特産品のブランディング
―6次産業化プランナーとはどんなお仕事なのでしょうか。
まず、6次産業化とは何か大まかに説明します。
- 農畜産物、水産物の生産をする人が1次産業
- 加工する人は2次産業
- 売る人は3次産業
に分類されています。その農商工が手と手を取り合って協力しよう、新しい価値で商品を作ろうよという取り組みです。
農家の目線で言えば、流通できない規格外の野菜を加工して利益を生みたいけれど、どうやって加工するの、誰が売ってくれるのという問題があります。僕の仕事はそのお手伝いをすること。
具体的には、地域資源を活用した特産品の企画開発を手掛けています。レシピ開発からパッケージデザイン、販路開拓まで支援しています。 現在までに1000件以上の案件を手掛け、食品レシピ開発のジャンル は和洋中、菓子、ドリンクなどなんでも対応できます。
どの案件も、基本的に「NO」は言いません。
溶けないアイスを作ってと言われたら、「溶けにくいアイスなら作れます」とお答えします。固形物を入れるとアイスは溶けにくくなるので、おからをパウダーにして、ソフトクリームに入れるなど工夫はできますし、ゼロ回答ではなく代替案を出して、売れる商品を作っていきます。
6次産業化プランナーになるまでの道のり
―今のお仕事に至った経緯を教えてください。
とくに何かしたいという考えもなく、アパレルの販売員に
僕は岐阜の10代続く枝豆農家の長男として生まれました。若い頃はとくに何かしたいという考えもなく、アパレルの販売員として就職。その後、日本で流行り始めていた北欧家具を置いた西洋料理店を開きたいと思い立ち、料理の道へ。昼はレストラン、夜は社会人料理学校に通い、料理と経営を学ぶ日々を送りました。
「イタリア料理の本質、その背景や文化を学びたい」と思い渡伊
昼は厨房、夜は辞書と格闘する日々
料理を学ぶ中でいちばん興味を持ったのがイタリア料理でした。イタリア料理店で働き始めましたが、「イタリアに行ったことがないのに、イタリア料理を作っているなんてダサい」と思い、その翌日には留学方法を聞きにイタリア大使館へ。そして、修業先を調べているうちに魅かれたのが、バレリアというイタリアでもトップクラスの女性シェフでした。
バレリアのいるイタリアトスカーナの2つ星レストラン「DA CAINO(ダ・カイーノ)」で、修業できることになったときは、嬉しかったです。初めは言葉が分からず、昼は厨房で飛び交う言葉をカタカナで覚え、宿舎に帰ったら辞書と格闘する毎日でしたが、とても充実していました。
―バレリアシェフのどんなところに魅かれたのですか。
女性は僕にない感性を持っていると思います。調理法や盛りつけに、真似のできないきめ細やかさがありました。彼女からいちばん学んだのはセンスです。センスっていうと抽象的かと思われるかもしれませんが、要は経験と実績です。
「白いお皿に盛るときれいだ」と言われたときに、「本当にそうかな」と一度疑ってみる。考えていくうちに「クリーム系の料理なら黒いお皿の方が映えるんじゃないかな」という発想が出てくる。イノベーティブな発想は経験と実績の組み合わせです。
マネージャー兼料理人として赤字の店を黒字に変える
帰国後、料理学校時代の恩師に請われて、飲食店の店舗再生事業を請け負う会社に就職しました。経営がうまくいっていないさまざまな店にマネージャー兼料理人として赴き、メニュー改定や人材育成、販売促進をして経営を黒字化していく仕事です。1年のつもりでしたが、結果的に5年の経験を積みました。
特産品の企画開発 6次産業化プランナーとして独立
その実績のおかげか、地方創生を目指す行政の方からもお声掛けいただくようになりました。当時、地方の農家を手伝うのは、中小企業診断士やコンサルタントの方でした。でも、実際に生産者の方が欲しいのは、売れるレシピや加工技術、販路です。自分の今までの経験が必要とされていると感じました。
おかげさまで今年、6次産業化プランナーとして独立して6年目になります。
宮崎さん 特産品ブランディング事例
―平塚に誇りを持ってほしい―ひらつか発ころころコロッケ「ひらコロ」(鳥仲商店)
神奈川県平塚の地域資源を活用して新たな平塚名物をつくるためにプロデュースした商品です。2015年には湘南しらすと湘南レッド(赤たまねぎ)を使用したコロッケを販売、好評をいただいて2016年秋に新たに4種類仲間入りしました。
この「ひらコロ」は、最初、行政の方も地元の方も「湘南コロッケ」というネーミングにしたいと言っていました。でも、私としては地元の方にもっと平塚に誇りを持ってほしくて、名前に平塚を入れることにしたんです。「ひらつか」とひらがなにすると、ロゴとしてもかわいいし、「ひらコロ」と略すとコロコロと丸いイメージがある。名前のイメージから、コロッケの形も丸くてひと口で食べられるようにしました。
これだけに限らず、商品開発をするときの信念は「奇をてらわず定番でうまいもの」を作ることです。大手企業なら奇をてらってもいいですが、中小企業は小ロットでも長く売れ続けるものの方がいい。お客さんも定番のものの方が手に取りやすいですしね。
「ひらコロ」(鳥仲商店)―樹齢1000年以上の巨木の年輪をイメージ―鳥取県日南町 自然薯バウムクーヘン「イチイの木」(自然薯屋おおえ)
折れたりして流通にのせられない自然薯を加工品にしたいとの依頼で、まず現地へ行きました。
その土地について調べていたところ、日南町の船通山の山頂付近には樹齢1000年以上といわれるイチイの樹(国指定天然記念物)があり、それを拝むために登山する人がいることを知りました。自分も、仕事仲間でありパッケージのデザインを担当してくれた石島さんと一緒に、1時間半かけて登山しました。実際にイチイの巨木を目の当たりにしてみて、この木を輪切りにしたイメージでバウムクーヘンを作ろうと思い立ちました。
農家さんだけで売るにはどうしても限界がありますから、農業資源と観光資源を組み合わせれば、巻き込む人を増やして販路を広げることができると考えたんです。
こちらも、おかげさまで作れば完売する人気商品です。自然薯パウダーを練りこんだ生地は、米粉よりしっとりもちもちで、別添えのむかご(自然薯の赤ちゃん)で作ったジャムをかけてもおいしいですよ。現在、更なる仕掛けも考えております。ご期待ください。
自然薯バウムクーヘン「イチイの木」(自然薯屋おおえ)自分の目で確かめるからこそ新しいものができる
実際に自分の目で確かめるからこそ新しいものができるので、フィールドワークを大切にしています。
例えばイタリア修業もそうだし、レシピ開発でもそうです。
料理人なら、おいしいレシピをいくらでも作れます。でも、売れるレシピを作るとなるとまた別なので、今の流行を食べ歩いて分析したりもしますよ。
ハンバーガー屋さんのプロデュースのときはロサンゼルスとサンフランシスコに行ってトレンドを探ったし、今年はベトナム料理のためにホーチミンに行きます。アウトプットするためには、常に倍以上のインプットをしていかないといけないと思っています。
―全国を飛び回るのは大変ではありませんか。
最近子供も生まれて、妻や娘、愛犬と過ごす時間はとても大切です。しかし、東京にいて試作品だけ作って送っても、相手に熱意は伝わりません。ほとんどの農家さんにとって、加工品づくりは初めての試み。商品が売れるかどうかの判断は難しいと思います。それでも、みなさんが「宮崎さんが言うなら任せる」と言ってくださるのは、きちんとお会いして信頼していただいているからです。仕事のほとんどの部分はコミュニケーションだと考えているので、現地に行くのは必須なんです。
―b-monsterの会員の方は、健康を意識している方も多いですが、宮崎さんなりの健康の秘訣はありますか。
僕なりの健康の秘訣は、「ストレスフリー」です。日々、ストレスを感じないこと、ためないことだと思います。 学生から社会人になっても、ただ好きなこと、楽しいことだけをやってきました。 好きな事を仕事にし、誰も喜ばない仕事はしません。家族と過ごす時間や、大切な人に料理を提供することも大きな喜びだと思っています。編集後記
「自分の目で確かめたい」という姿勢で物事に向かって歩んできた結果、経営コンサルと商品開発ができる料理人という独自の存在となった宮崎さん。今後の展望をお聞きしたら、「今は6次産業化プランナーとして農家のお手伝いをしているけれど、どこかの時点で、自分で農作物を作りたいと思って、農家になる可能性だってあります。もともと10代続く枝豆農家の長男ですしね。未来は誰にもわからないですよ。」と仰っていました。フットワーク軽く興味を持ったものを吸収して、今後もご活躍の場を広げていくのだろうと感じました。
PROFILE
M’s FACTORY代表。フードコンサルタント・料理人。岐阜県出身。10代続く枝豆農家に生まれ、イタリア、トスカーナにある本場2星リストランテ「DA CAINO」にて腕を振るう。全国各地の地域資源を活用した特産品の企画開発を手掛け、販路開拓支援、飲食店舗プロデュースなどさまざまな方面で活躍している。
下記「プロフィール詳細へ」では、宮崎さんプロデュース商品や、おすすめのお取り寄せ食品もご紹介しています。